ほろ苦い思い出

私の母親が、兵庫県の小学校の障害児童のクラスの担任をずっと、定年退職まで務めていました。私も、小学生、中学生の時は、夏休みに手伝いに行った時の思い出を書いていきます。宜しくお願いします。
あえて、私は、母親の事を、普段通りに、お母ちゃんと呼ばせて貰います。
お母ちゃんのクラスの父兄は、両親共働きが殆どで、朝に小学校に一緒に父兄が付き添い登校し、仕事が終わって、連れて帰るというシステムです。
無事に帰ったと連絡を貰ってから、お母ちゃんは、自宅に帰るのですが、時折り、スーパーの買い物をして、目を離した隙に、何処かに、ふらっと行ってしまったのです。
お母ちゃんや同僚先生、警察の人らが、必死に探していて、私は、小学生の確か、5年生か6年生だったので、教室で留守番でした。
中々、見つからないとなって、皆さん焦ってましたが、私は、たまたま、退屈なので、校庭に出ると、何と、ジャングルジムで、その子が遊んでました。
私は、何も深く考えずに、一緒に遊んでると、先生が、見つけて、連絡が取れて、収まったのですが、お母ちゃんに、何故、誰か先生に、言わなかったのかと、凄く怒られた事を覚えてます。
その時は、楽しく一緒に遊べたから、何を怒っているのかと反発してましたが、今、大人になり、考えると、交通事故に巻き込まれていないか、川に落ちていないか、誰かに連れ去られていないか等、探している皆さんは、めっちゃ心配していたのですね。
おとなになって、初めて理解したほろ苦い思い出です。
今後も、覚えている思い出を、書かせていただきます。宜しくお願い致します

投稿者 息子溺愛パパ

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